佐村河内守の会見 手話の意味は・・・ [スキャンダル]
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ゴーストライター問題で世間を騒がせた佐村河内守さんですが、
謝罪の記者会見を開きましたね。
その時に、とある記者の方から
「一つの検証として、佐村河内さんは手話ができるのか?
手話で日本中の方にメッセージをお願いします」
という投げかけに対してされた手話があったと思います。
会見時の手話の動画↓
http://www.nicovideo.jp/watch/sm23037854
あの手話がいったいどういう意味の内容だったのか気になる方もいらっしゃるかと思いますので、ちょっと訳を書いておきますね。
となるのですが、これはあくまでそういうような意味で言っているのであろうということです。
なぜこんな言い方をするのかというと、手話の単語自体は間違ってはいないのですが、少し不自然な点があるのです。
下へ続く↓
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私も、そんなに長い間手話を勉強していたわけではありませんが、
その短い期間に、聴覚障害者の方や手話通訳の人と手話や指文字のみで会話をしてきましたし、実際にそういった方々から聞いた話なので、間違いではないと思っている知識なのですが、
手話に重要なのが
「テンポ」
「口型」
「表情」
「手話の位置」
等等いろいろあるのですが、その全部がおかしいのです。
まず「テンポ」なのですが、これは手話にも句読点があると思って頂ければわかりやすいかと思います。
ですので、彼のやっていた手話を私たちの普通の会話に当てはめて言うと
「私・・・・・名前佐村河内守・・・です」みたいに途切れ途切れになってしまっているのです。
「私の名前は~」としたいのならば、「私」という手話と「名前」という手話を流れるように組み合わせなければいけないのです。
もちろん、これは今回使われていた手話の別の部分にも言えることです
そして、次に「口型」に関してなのですが、
手話は同じ動きでも、口型によって意味が変わってくるということがあります。
例えば、「好き」という手話でも、口で「きぼう」とすると
手話の意味としては「~したい」という意味に変わります。
今回の会見時の手話で「佐村河内守です」の部分も
「~です」というようにするならば口型は「いう」というように動かさなければなりません。
しかし、彼はまったく口が動いていませんでした。
さらには、自分の名前には必ず口型をつけなければいけないということもあります。
次に、「表情」。
これもちゃんと表情が動いていないと意味が相手に伝わりません。
「楽しい」という手話なら楽しそうな表情で、「悲しい」なら悲しい表情で。
今回使われている「申し訳ありません」というのも、もちろん表情もちゃんと申し訳ない表情をしなければならないのです。
次に、「手話の位置」です。
手話というのは相手に見えるようにするのは当然のことながら
指の形は同じでも、動かす方向が違うだけで意味が違ってきたりもしますし、
少しシビアな判定かもしれませんが、「心からお詫び申し上げます」という手話も「心」ならば、心臓の位置でしなければいけませんが、場所がとても適当に感じます。
ほかにも、気になる点はありますがこれだけでもかなり違和感があるのです。
このようなことを踏まえて、少し細かく意地悪に訳をすると
「私・・・・・名前さむらごう・・ち 守・・です。
こ・・・時は、私・・・・本当・・悪かった。
日本・・中・・みなさん、心・から、申し訳ありませんでした」
となります。
いや、そもそも表情があっていないので謝ってすらいないようなものかもしれませんね。
本当の聴覚障害者の人が彼の手話を見てしまったら、
「謝っていないじゃないか!!」と思う方が多いかもしれませんね。
本来、何年も耳が聞こえず手話に頼っていた生活をしていたのならば、
このような素人の私でも気づくような失敗はしないはずです。
これは、謝罪会見という名目だったはずですが、火に油を注ぐ結果になってしまったのではないかと私は思います。
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ゴーストライター問題で世間を騒がせた佐村河内守さんですが、
謝罪の記者会見を開きましたね。
その時に、とある記者の方から
「一つの検証として、佐村河内さんは手話ができるのか?
手話で日本中の方にメッセージをお願いします」
という投げかけに対してされた手話があったと思います。
会見時の手話の動画↓
http://www.nicovideo.jp/watch/sm23037854
あの手話がいったいどういう意味の内容だったのか気になる方もいらっしゃるかと思いますので、ちょっと訳を書いておきますね。
訳
「私の名前は、佐村河内守です。この度は、私が本当に悪かった。
日本中のみなさんに、心からお詫び申し上げます」
となるのですが、これはあくまでそういうような意味で言っているのであろうということです。
なぜこんな言い方をするのかというと、手話の単語自体は間違ってはいないのですが、少し不自然な点があるのです。
下へ続く↓
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私も、そんなに長い間手話を勉強していたわけではありませんが、
その短い期間に、聴覚障害者の方や手話通訳の人と手話や指文字のみで会話をしてきましたし、実際にそういった方々から聞いた話なので、間違いではないと思っている知識なのですが、
手話に重要なのが
「テンポ」
「口型」
「表情」
「手話の位置」
等等いろいろあるのですが、その全部がおかしいのです。
まず「テンポ」なのですが、これは手話にも句読点があると思って頂ければわかりやすいかと思います。
ですので、彼のやっていた手話を私たちの普通の会話に当てはめて言うと
「私・・・・・名前佐村河内守・・・です」みたいに途切れ途切れになってしまっているのです。
「私の名前は~」としたいのならば、「私」という手話と「名前」という手話を流れるように組み合わせなければいけないのです。
もちろん、これは今回使われていた手話の別の部分にも言えることです
そして、次に「口型」に関してなのですが、
手話は同じ動きでも、口型によって意味が変わってくるということがあります。
例えば、「好き」という手話でも、口で「きぼう」とすると
手話の意味としては「~したい」という意味に変わります。
今回の会見時の手話で「佐村河内守です」の部分も
「~です」というようにするならば口型は「いう」というように動かさなければなりません。
しかし、彼はまったく口が動いていませんでした。
さらには、自分の名前には必ず口型をつけなければいけないということもあります。
次に、「表情」。
これもちゃんと表情が動いていないと意味が相手に伝わりません。
「楽しい」という手話なら楽しそうな表情で、「悲しい」なら悲しい表情で。
今回使われている「申し訳ありません」というのも、もちろん表情もちゃんと申し訳ない表情をしなければならないのです。
次に、「手話の位置」です。
手話というのは相手に見えるようにするのは当然のことながら
指の形は同じでも、動かす方向が違うだけで意味が違ってきたりもしますし、
少しシビアな判定かもしれませんが、「心からお詫び申し上げます」という手話も「心」ならば、心臓の位置でしなければいけませんが、場所がとても適当に感じます。
ほかにも、気になる点はありますがこれだけでもかなり違和感があるのです。
このようなことを踏まえて、少し細かく意地悪に訳をすると
「私・・・・・名前さむらごう・・ち 守・・です。
こ・・・時は、私・・・・本当・・悪かった。
日本・・中・・みなさん、心・から、申し訳ありませんでした」
となります。
いや、そもそも表情があっていないので謝ってすらいないようなものかもしれませんね。
本当の聴覚障害者の人が彼の手話を見てしまったら、
「謝っていないじゃないか!!」と思う方が多いかもしれませんね。
本来、何年も耳が聞こえず手話に頼っていた生活をしていたのならば、
このような素人の私でも気づくような失敗はしないはずです。
これは、謝罪会見という名目だったはずですが、火に油を注ぐ結果になってしまったのではないかと私は思います。
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2014-03-09 02:03
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